今でも見えています
今年も色々な事がありましたね。
嬉しかった事や悲しかった事。
楽しかった事や苦しかった事。
私はひとつ歳を重ね涼しくなる頭と共に又おじさんになりました。
16歳のある蒸し暑い夏の夜。兄貴の車の助手席で走った国道171号線。
吸い込まれるようなヘッドライトの光りが目の中に飛び込んだ瞬間。
時間が止まりました。
「涎(ヨダレ)?」
対向車との正面衝突。
涎かと思った液体は全て自身の血だと理解するのに少し時間がかかりました。
口を閉じても次から次へとあふれ出る液体に恐る恐る頬を触りました。
触った感覚はありませんでしたが,頬が裂け口の中まで貫通した穴が開いていました。
そのまま目を開ける事も,動く事も出来ず,どれほどの時間が経過したでしょうか。
暗闇の中ドクっ…ドクっ…という自分の心臓の音だけが頭の中に流れていました。
誰かが車のドアを開け。
「大丈夫ですか?」
「はい…」
手を引かれ,目を瞑ったまま私が車外に出た瞬間,野次馬の喧噪に混じって。
「悲惨…」
パニックに陥る相手のドライバー。
訳の分からない事を叫びながら。
「死…」
という単語が聞こえた事を今でも覚えています。
結局,私があなたのお顔を拝見する事は一度もありませんでした。
サイレンの音と無線の声を遠くで感じながら,蒸し暑かったはずなのに寒くて…寒くて…
ブルブル震えていました。
手術室のライトの温かさを感じながら,気の遠くなるような時間。
瞼が裂け,耳が裂け,頬が裂け,舌が裂け,歯が砕ける顔面裂傷。
後から見せて貰った警察の写真にはフロントガラスもダッシュボードも何も無かった。
顔面右半分だけで「108針」の縫合。
警察からの連絡で飛んできた両親。
「お兄さんは軽傷ですが…弟さんは…」
手術中。何度も…何度も…「痛い!」と叫びました。
看護婦さんの叱咤に,痛さよりも情けなさで涙が出ました。
パンパンに腫れ上がった顔で最初の診察後。
母親が私のところにやってきて。
「瞼の上の傷が深く。右目は失明,左目も何とも言えない。」
と涙ながらに。
悲しいというよりも母親が泣いている姿が照れくさくて。
冷たく返事をした事を少し後悔しています。
退院後初めてひとりでバスに乗った時。
「視線が痛い!」
という言葉を理解しました。
2年後,舌の中から出てきた血の付いたパチンコ玉程のガラス片で新聞紙を切って,周りの友達に嬉しそうに自慢した事を覚えています。
あれから18年…
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皆さんコメント多謝。○┓ペコ というかさっき記事をアップした後,何か疲れが... 続きを読む
DASAIさん、こんにちはー
オイラも小2時に交通事故に合い事故当日は意識が無く骨折が直ってからギブスをはずした時に間接が固まってしまいそれを動くようにするのがメチャクチャ痛かったのを覚えています。
TOSHIさん>
ども。\(^o^)/
交通事故にはホント気を付けないといけませんね。
何かと慌ただしい季節。
ゆったり行きましょう。
でわ。
私もバイクに乗っていたときに、車に幅寄せされて逃げ場がなくて接触転倒したことがあります。腰の筋肉をいためただけですみましたが、いまだに疲れると腰に来ます。
貰い事故は、いやですねー。怨んじゃいますからね…
こんばんは。
自分も大学のとき、原付に乗ってて対向車線の車がノーブレーキで突っ込んできてはねられた経験があります。その時は両肩亜脱臼でした。
右ひざの前にヘッドライトがあった記憶の次は道路に寝てました。事故は怖いですね。
自分も今日で仕事納め、いろいろありましたが、来年はいい年にしたいですね。
みなさんもよい年でありますように・・・
あまり良い事ではありませんが,皆さん事故に遭われているんですね。
十分注意しましょう。
健康にもね。(^◇^)ノ
Dasaiさん、今晩は!!
私も今年…
って、2月下旬の雪がしんしんと降る夜、
交差点で信号待ち停止中に、正面からドカン!!と…。
クルマの損傷程度は中程度だったし、
その時点では外傷もなく、ムチウチ症状もなかったんですけど、
3日経過後あたりから猛烈な頭痛等々…。
結果、喉側の自律神経節損傷で、
頭痛や恒常性維持機能障害散発する中、全治5カ月…。
さすがに外見的には「病気じゃない人」なんで
ホント通院するのも気になってたんですけど、
上司含む職場の皆さんが逆に気遣ってくれて、
完治まで通院することができました。
今、後遺症が全くないことが幸いですけど、
こっちが注意しててももらっちゃうことあるんですもんね。
Dasaiさんの一件を拝見して、
「ホント、命がつながってて良かったなぁ…」 って <泣けそうになりました。
私の叔父夫婦も、数年前に停車中の正面衝突の被害者。
(無保険・無免許の外国人が当事者…)
定年退職迎えて、叔母と「苦労かけたからこれからはゆっくりと」って
語り合ってた最中だったんですよ。
でも、下肢不随になりつつも、「生きてるからいいよ」って
会うたびに笑う姿を思い出しました。
お互い気をつけましょう!!
ちなみにこの一件で、「前厄の恐怖」が発動…。
本厄迎える来年は、早々に厄よけ祈願に行ってきます!!
隊長父さん>
ホントにそうですね。
もう随分昔の事になってしまいましたが,両親には色々心配かけたなぁ~と。
自分自身が親になって改めて感じます。
生きてなければ「笑う」事も出来ないですしね。
来年も楽しく,健康で!
よいお年を!(^◇^)ノ